2006.01.06

伊賀瓦・伊勢瓦(三重県)

【いぶし瓦】

三重県の伊賀上野で生産されている和型いぶし瓦が伊賀瓦。
度会郡、伊勢市周辺の瓦が伊勢瓦。
県内にはほかに津市周辺などでも生産されていますが、最盛期の昭和30年代に比べると少なくなりました。
伊賀産地では100社ほどあったようです。
伊賀瓦は足深桟瓦(中深)の和型60形、耐寒性のよさが売物です。

2006.01.06

三州瓦(愛知県)

【釉薬瓦・無釉瓦・いぶし瓦】

愛知県刈谷市、高浜市、碧南市、半田市などを中心に展開する全国最大の産地。
「三州」という産地ブランドは著名。
発祥は1700頃という説が有力です。
重量物という物流面のハンデもパレット化、帰り荷を活用できる立地条件でクリア、首都圏、中部圏ほか、北海道、九州にも販路を伸ばしています。
量産化、コストダウン、高品質化、新製品開発など技術革新に極めて意欲的で、億円単位のテレビ宣伝など企業活力は旺盛です。
釉薬瓦、いぶし瓦、無釉瓦のほかに全国で唯一となった塩焼瓦もここで作られています。
主力の和型は、ここでは53A形。本葺形、S形、スパニッシュ形の在来品から、ミッション形、平板、洋風の洋形新製品まで数多く、商品別に分ければ20種類を超します。
中心となる組合組織は昭和8年設立の「愛知県赤瓦工業組合」を前身とする「愛知県陶器瓦工業組合」で半世紀以上の歴史があります。
また産地の中心からははずれますが、武豊町に釉薬の特殊な耐震瓦を生産するメーカーがあります。

2006.01.06

東三河瓦(愛知県)

【いぶし瓦】

静岡の遠州産地と愛知県西三河、三州産地の中間に位置します。
愛知県の豊橋平野から渥美半島にかけては風が強い地域。
このため豊橋周辺では古くから、切り込みが深く、重なりが多い“56判目板”(両二寸)と称するいぶし瓦和型の足深桟瓦(本深切り)が生産され、土葺き工法とあいまって独自の市場を形成しています。

2006.01.06

遠州瓦・清水瓦(静岡県)

【いぶし瓦】

静岡県清水市周辺(清水瓦)と周智郡森町周辺(遠州瓦)のいぶし瓦産地でした。
かつて三州いぶし瓦に比べ、表面の肌のよさ、銀色の発色(サエ)のよさ、色の変わらない点が特徴でしたが、現在は産地としての形を留めていません。
清水市に2社(役物瓦専門)、浜松市に2社の窯元があります。

2006.01.06

美濃焼瓦(岐阜県)

【いぶし瓦】

岐阜県で生産される社寺瓦を中心としたいぶし瓦の総称ですが、岐阜県産瓦と言う人もいます。
古瓦の出土から発祥は白鳳時代と推定されます。
よく焼き締められた、色もちのよい点が特徴。
形・模様などデザイン面に京都系、三河系の流れがありますが、いずれも手作り技術の伝統が継承されています。
本葺瓦のほか、桟葺きの和型72形、規格判(61枚/坪)、56形、尺判(48、44枚/坪)。

2006.01.06

信州瓦(長野県)

【釉薬瓦】

昭和30年代まで北信地域から南信まで広範な地域でいぶし瓦が生産されていました(約300社)が、現在はゼロ。
トンネル窯による釉薬瓦は30年代末期から始まり、3社ありましたが、現在は南信地区に1社のみ。
JIS規格・和型53A形、ほかに特注で64形。
耐寒瓦としていぶし銀が主流。
洋風住宅向けの色にも対応しています。

2006.01.06

越前瓦(福井県)

【還元瓦】

福井県産の艶のない独特の銀鼠色の瓦で、「越前銀鼠瓦(ぎんねずがわら)」とも呼ばれます。
起源は江戸時代中期。
最盛期の大正末期には200を超す窯元がありました。
酸化第二鉄の紅柄(べんがら)を主成分とした生釉をドブづけ、酸化炎と還元炎で焼成した還元瓦和型。
北陸地方の自然環境、風土に適した強度と耐寒性を有し、ユーザーから「積雪に強く滑らない」という評価の声が多い。
56形が90%で、三州タイプの53A形が一部。
メーカーは武生市、鯖江市と周辺に立地。

2006.01.06

能登瓦(石川県)

【釉薬瓦】

石川県の能登半島で多量に生産されていた耐寒釉薬瓦。
窯元数は昭和30~40年代が最多。
トンネル窯化で昭和50年代初頭に最多生産量になりましたが、以降は減少。
北陸特有の気候風土に根づいた大判の和型49形で、釉薬(黒・銀黒)のドブづけ。
施工は銅線緊結工法。
厚みがあって風、雪に強く、流れの長い屋根にはよく使われます。
現在は加賀市の2社と能登の1社、計3社が生産。
他の加賀市にあるメーカーは53A形で両面施釉品を作っています。

2006.01.06

とやま瓦(富山県)

【釉薬瓦】

明治時代に富山県内35工場を数えました。能登瓦同様、釉薬のドブづけで黒、赤、銀黒。現在は富山県小矢部市周辺のメーカー4社で産地を構成。
北陸の気象条件に合った、耐寒性のある釉薬瓦和型を生産。
かつては49形の大きく厚みのある瓦で、雪国向けの銅線緊結工法でしたが、このサイズは全体の20%未満になり、三州タイプの53A形が増えつつあります。

2006.01.06

陣ケ峰(じんがみね)瓦(新潟県)

【釉薬瓦】

江戸時代の文政元年の発祥と言い伝えられ、三州から来た瓦職人「喜六」と言う人物が始めたと言われます。
かつて12~13社を数えましたが、現在は新潟県の田上町で2社が生産。
能登瓦と同じ釉薬の瓦で、ブラックのドブづけ、銅線緊結工法。
能登の49形よりやや小さい50形、丈夫さがセールスポイントです。